【花虫】
安っぽいが煌びやかな装飾の看板には金色の文字でそう書かれていた。
夕闇が迫るこの時間から明かりが灯り、愉悦の表情で男たちが賑やかに店へと入っていく。 彼らは皆客だ。それぞれに気に入った踊り手たちのことを話している客もいた。
「俺はもう四夜連続になるよ。」
「ばっかいうねぇ。ここでは七夜連続は当然だい。何せあの女に相手にされるには一月の順番待ちとはよく言うよ。」
昨日の晩に顔見知った二人の男が今夜も、と入り口の前で列を成していた。
「あの女?」
「ああ、あんたも四夜来たってなら一度くらい見ただろう?【蝶】を。綺麗な鴇色の髪の若い女だよ。ぞくっとするほど良い女だ。」
「へぇ・・・まだ見てないかもしれないなぁ。そんなにイイ女なのかい?」
「そりゃぁもう。舞台で見て虜にならねぇ男はいねぇ。だがなあっちのほうも虜にされちまうせいで、なかなか相手にしちゃもらえないんだぜ。」
「そりゃ興味あるな。俺も今夜申し込もうか。」
「はははっ今夜申し込んで出来るようなら俺は今すぐ出来るってもんだ。・・・もっとも、ここの踊り子は皆、殺しの仕事をしてるなんて噂もあるんだけどな。」
「はは、殺し?そりゃなんだい。男のアレを殺すのかい?」
「ま、綺麗な女には謎がつき物じゃねぇか。蝶にだったら俺ぁ殺されてもいいけどよ。」
笑いあいながら、動き始めた列に男たちは歩を進めた。


一曲終わった舞台裏ではつまり売れっ妓の女達が汗を拭きながら次への準備をしていた。
「蝶・・・許さなくってよ。アタシの客を盗ったわね?」
「盗った・・・?何ぞ言いがかりね?私があんたの客を盗らないと食えないような。寝言は寝て仰いな。客が勝手に来たなら知らないわ。」

その店は女の舞いを見せる飲み屋だった。
東の国の外れにあるさほど大きくない店だが、美しい女がそろっていることが有名でなかなか繁盛している。
もちろん金さえあればもっと特別な舞いを客一人で見ることも出来る店であった。

美しい顔を怒りに歪ませて今まさに舞台から降りてきた女が自分より少しばかり若い綺麗な少女に凄みを利かせている。
少女は―――蝶は先輩格であろう女を座ったまま薄笑いで見据えている。態度が気に障ったのか女はさらに怒りで頬を染め更に続ける。
「とぼけるんじゃないわ。アタシのマサさんをあんたが連れて行くところ、アタシも愛もしっかりこの両の目で見たわ!さすがは【花にうつらふ】どの花にもふらつく!」
「ふぅん・・・姐さん言いたいことはそれだけかしら。」
「・・・!ひっっ!!」
言った瞬間蝶の手からきらりとした針が女の首に突きつけられていた。
蝶の鴇色の長い髪の毛が針からするりと滑り針の鋭い様子があらわになる。
「なっ・・・血迷ったか蝶っ!店内で騒ぎを起こすなど・・・」
「お先になさったのは姐さんでしょぉ?それに私は花にうつらふ蝶一番の売れっ妓。どちらを店が信じてくれるかしら??下らないこと仰るでないわ・・・次は容赦しなくてよ。あぁ・・・例のマサさんだけれども・・・セックスのときどんな顔するか気になったの。でもちっとも面白くもも無かったわもう逢う気ないから。姐さんが慰めてあげて??」
すっと針を引っ込めて蝶はおよそこんな場所には似つかわしくない上品な笑みを浮かべそこを後にした。


「蝶っ!!」
後ろから呼び止められて廊下で蝶は振り向く。長い着物の裾が床と擦れてしゅるりと鳴った。
「あら、杏。どうしたの?」
呼び止めたのは黒髪を肩で揃えた蝶と同じ年ほどの女だった。
「どうしたのって。姐さんにあんな言い方して、心配して来たのよ。」
「あら、ほほほ。杏私についてこなくていいのよ?杏まで目の敵にされてしまってよ?」
「冗談言ってるんじゃないんだけど。」
心の底から反省どころか、気にも留めていない蝶を見て杏は肩をすくめる。
「心配してくれてありがとう。」
濃いからくれないの瞳を細めて蝶は頭を下げた。
「でも大丈夫よ。私。姐さん方と上手くやっていくつもりがないわ。仲良くなる前に年季が明けてしまうわ。」
「変な妓ね。」
「ええ!でも、本当にもうすぐ明けるのよ?」
蝶は少女らしい笑顔で杏を見遣った。
「羨ましいわ。あんたなら確かにもうすぐ出て行けるのね。出たらどうするの?」
「私・・・会いたい人がいるの。」
「恋人?」
「いいえ。一度会ったっきりよ。それにずっと年上だと思うわ。ここに来てすぐに会った方なの。凄く幼いころだけど、会えば見間違えないわ。」
「羨ましいわ。そんなに思うヒトがいるなんてねっ。」
「蝶!!」
二人の後ろから幼く甲高い声が響く。
「あら、蜂。」
蜂と呼ばれたのはとても背が小さな子供で男か女かも判らない姿だった。けれど何かえもいわれぬ威厳を漂わせている。
「蝶、【花にうつらふ】の舞台の時間だ。」
「・・・判ったわ。いつ?」
「3日後。」
「御意。」

蝶から笑顔が消えて、彼女は裾を手で引き上げると蜂についていった。杏は二人を複雑な面持ちで見送る。
杏は何となく察しがついていた。

―――誰がいくら金を積もうと、ここはきっと蝶を手放さない。





1ヶ月前のこと。

初老の恰幅の良い男は黒いマントを頭から被って細い道を急いでいる。
マントから覗く靴で彼の地位が高いことを証明する。
ただ今はその夜にまぎれて他には何も見られないよう、供もつけずに馬を駆っているのだ。
ぱしっ・・・
一粒を合図に大粒の雨が天から降り注ぐ。あっという間に雨は勢いを増して夜を包んだ。
冷たく忌々しい雨も今彼にとっては姿を覆い隠す蓑になったかもしれない。

しかしその蓑に分け入ってくる影が一つ。

「うわっっ!!!」
男は驚いて手綱を引いた。行く手に突然人影が現れたのだ。
「危ないじゃないか!!」
興奮する馬を制して、それだけ怒鳴ってからまた彼は馬を走らせようとする。
「もし・・・。」
「急いでいるので・・・。」
女の声で呼び止められたが今は関わっていいときでは無い。男は急いで手綱を鳴らす、が。
「お待ち下さい男爵様。」
「なっ・・・?!」
呼び止められたばかりか自分のことまで知っているふうに言われ男は狼狽して振り向く。
女は美しくどこか作り物のような容姿をしていた。
赤い唇が闇の中でにっと弧を描くのは、綺麗というよりもはや不気味といったほうがしっくりとくる。

「離せ!人違いだ!!」
「・・・あら。人殺しをご依頼なさった男爵様ではありませんの??」
「くっ・・・どこの者だっ・・・・何が望みだ・・・!」
初老の男にとって脅しや刺客があるのは初めてのことではなかった。
それもあり男は大人しく相手の要求に従ったほうが得だと判断し、女に向き合った。
「申し遅れました。わたくし【舞姫】と言うものです。といってもわたくし個人の名前ではなくわたくしどもの組織の名前ですが。」
「まい・・・ひめ?」

雨音がうるさく響いて二人の会話を外へは漏らさない。
「黒い男に・・・殺人依頼をなされましたわね?」
「こんなところで・・・!」
「大丈夫。誰もいませんわ。」
女はささやかに笑う。
「貴方様のご依頼になった黒の男は本当に老舗の殺し屋でござますね??でも是非わたくしどものこともお耳に入れていただきたいと思ったものですから・・・不躾に失礼しました。」
「つまりなんなのだ。」
「失礼、わたくしどもも所謂殺し屋ですわ。是非今回の依頼をわたくしどもにもお任せいただきたいと思いまして。」
「何を・・・お前が言っただろう。既に依頼は済んでいると・・・。」
男爵は女をじろりと見据える。
「ええ、ええもちろん存じております。しかし成功報酬ですから、この世界、つまりわたくしどもが成功すれば、わたくしどもに報酬をいただきたい、とそういうことでございます。単刀直入に申しませば。」
「そんなこと、悪いが今回は・・・」
「わたくしどもなら二つで。」
女は白い指先を二本たてて見せる。それに男爵が少しの反応を見せる
「二?あいつらですら四だ、私をからかっているのか。」
鼻で笑いながら彼は言う。
「いいえ、まさか。本当に二つですわ。わたくしどもは低価格で確かな結果を売りにしておりますの。貴方様はただ、待っていらっしゃればいいだけ。あちらが成功すれば四お支払いになればいいし、こちらなら二。どっちにしたって成功を約束してるではないですか。」
雨足はますます強く激しくなり、暗い夜を水底に沈めた。