この集団は外からは【黒の組織】とか呼ばれていた。
しかし別にそういう名前が付いているわけではない。名前は・・・というと無かった。
内部の人間もただ単に「我々」とか「組織」とかそういう風に呼んでいた。
いつ誰が創始したのかそれすら定かでない。
総人数も上層部くらいしか把握していないだろう。
ともかく下層の者は上の正体やら名前、何もかも知らなかった。
普段住んでいる場所も一支部みたいなものでいつでも消せる準備が出来ているといった具合であった。

【黒の組織】とは誰がいつ呼び始めたのだろう。
姿を見たことがある者がきっと見た目のまま、黒い衣服に身を包んだ男たちのことをそう認識したのだろうが。
「はぁ・・・。」
「また溜息か泉、前日はいつもそうだな?」
仕方なさそうに笑う声に泉は無言で振り向く。
「エリン、何時から?」
「寅。」
「ありがとう。」
壁に寄りかかりながら再び天井を仰ぎ見る。
エリンは泉所属のチームのリーダーだが、この無口で無愛想な男に遠慮なく話しかける唯一の人物だった。歳は少し上らしいが正確な年齢は誰も聞かないし本人もしっているかわからない。
「しょうがないなぁお前は。」
組織に似つかわしくない微笑。顔も体格も性格もとくにどこか似ているとは思わないのだが、微笑みだけはどうにも双子の兄を思い出すような優しい顔をする。と泉はいつも思っていた。
「妹の手がかりって全然無いのか?」
「無いなぁ・・・12年目か・・・もう。」
知っているのは三歳のときの妹と名前だけ。些細なことで家出して戻ってきた二日後には家に誰の姿も無かった。そのまま兄も父も行方知れずだ。
「考え込むなよ、そのうち会えるよ。俺らみたいに家族がだーれもいないより幸せだろ?」
エリンが泉の肩を軽く叩く。泉はかすかな笑顔で返事をした。
「と・・・それより、今回も邪魔が入るかもしれないぞ。」
「邪魔・・・?って女か。」
エリンの言葉に泉の顔が一瞬険しくなる。
「ん。【舞姫】っていうらしいな。最近判ったんだが比較的新しい店らしい。うちの組織の客を横から盗るようになったのは本当にここのところだが・・・。」
「泥棒猫ってところか。だが実力はかなり劣るだろう。話に聞いたことしかないが。」
「全体的にはそうだろう。女しかいないって話だ。女ならではの方法で近づくからこっちと鉢合わせになることはあまりないのだがな。ただ・・・これ以上続くようなら上も何かする気配だ。今回もその恐れが濃厚だ。気を引き締めろよ。・・・まぁ最後だけはいつでも代わってやるよ。」
再び肩と叩いてエリンは来た道を戻る。
泉は彼に感謝しながら息をつく。

彼は暗殺集団に入って十一年間、未だヒトを殺めたことがない。




『目標は3階の奥の部屋、この時間は愛人と一緒。例の組織の襲撃と被るから注意しろ。他の日で適当な隙がなかった。よほど用心深い男のようだ。蝶、存分に花にうつらへ。』
「・・・まったく。面倒な仕事は全部私に押し付けるのね。」
緊急か、もしくは難易度の高い仕事は全部蝶にお鉢が回ってくる。
今回は緊急にも程がある。急に【花にうつらふ】舞台を言い渡されたのはほんの三日前の話だ。
【花にうつらふ】とは蝶にそういった【仕事】が入った時の合図だ。店の他の女にもそれぞれそんな隠語があるが蝶は興味が無くて覚えていない。
どうせ蝶には標的と寝てその場で・・・といったような簡単な仕事は来ないのだから。

蜂に言われ、蝶はすぐに標的の屋敷に侵入したが、確かに決行と言われた今日以外、男に隙は無さそうだった。
男のいる3階には使用人でさえおいそれと近づくことが出来ない。
だからわざわざ、黒の組織の襲撃を待って、混乱に乗じるしか手が無いのだ。
―――何せこっちは一人なんだから・・・経費削減もいいかげんにしてほしいわ。
蜂の情報ではもうそろそろ黒の組織が来てもいいはずだ。

「うぁっ・・・」

遠くから小さなうめき声とかすかな血の匂い。
―――ライバルさんも到着みたいね・・・!
仕込んでいた武器を確認してから蝶は気配を絶った。




目の前の男は怯えきって足も立たない様子で震えている。
「た・・・助けてくれ・・・!!あいつに頼まれたんだろう?!男爵か・・・金なら倍出す!!私が死んだらあの男の思うままになってしまうんだ!!だから・・・!!」
地位も財産も関係ないような命の取引のその場で余りにも憐れな男は何とかして生きようとしている。その男をどうするも、泉の手の中にある―――はずなのに泉は男と同じくらい震えてその呼吸は荒い。
―――俺が、殺さなきゃ・・・。でも人を殺すなんて嫌だ、でも・・・!!
そんな目の前の『殺し屋』の様子にも気づかず男は動かない泉から逃げようと必死で這い蹲る。

誤算は思ったよりずっとこの男の屋敷警備は優秀で厳重だったということだ。
チームは泉以外未だ、警備相手にてこずっている。
そういつも、人を殺せない泉に代わって標的を仕留めてくれるエリンでさえ。事情はどうあれ、標的の目の前に今辿りついたのは泉だけだということだ。

男は泉が動かないことにようやく気づき震えながらも非常ベルに手をかけようとしていた。
「く・・・うぅ・・・」
そんな様子を見ながらも泉は体がすくんで一歩も動けなかった。

シュッ

「・・・!!」

ふいに泉の真横を掠めて何かが通り目の前の男は声もなく絶命する。
「?!」
泉は瞬時に気を持ち直して後ろを振り向く。こんな方法でとどめを刺す仲間はいなかった。
「ふふ・・・ごめんなさい??」
楽しそうにすら聞える声がその目の先にいた。
影だけが見えるこの視界でも、相手が女であることが見て取れた。身体に沿った、衣服なのか、艶かしいラインが挑発するように泉に対峙している。
「・・・この男を殺したのはお前か・・・お前は誰だ。」
「人殺しが人殺しに名乗るなんておかしくない??一応待ったのよ。あんた私より先にここにたどり着いてたし。・・・でもいつまで経っても殺さないんだもの、逃げられちゃお仕舞いよね。お互い。」
明かりの消えたその部屋には月明かりだけが差し込んで、目の前の相手をほの暗く映す。
「さて・・・私帰らなくちゃ。」
表情まで見えないはずのその影が微笑んだ気がした。
「待て・・・!!」
言うころには影はもう窓に足をかけている。

「そうそう、一つだけ言うけど、・・・あんた人殺しの目じゃないわ?坊や。」

泉は窓の外に翻る髪の毛の先を見た。一瞬だったが月明かりに煌いて、それはそれは美しく見えていた。