緊迫した空気の中屈強な男たちが並ぶ。一際線の細く見える泉も参列していた。
「失敗した原因はなんだね、エリン。リーダーとして速やかに報告しろ。」
「は・・・警戒が思った以上に厳しく、標的にたどり着くまでにチームがばらけてしまい・・・」
「それは何度も聞いたぞ。」
上司の目が冷たく光る。
普段顔も見たことが無い様な数段上の地位にある存在だ。こんな風に一介の実行部隊の前に姿を現すのは異例だった。
「何でも誰一人たどり着かなかったわけでは無いと、そういう報告もあるが。」
「・・・っ。」
無論エリンが泉に責任を取らせるような報告をするはずはなかったが、チームの中には常に手を汚さないように見える泉を快く思わない者もいる。
「泉、とは誰だ。」
「・・・俺です。」
「結構古参だそうだね・・・君は組織に入ってどのくらいになる。」
「十一年目になります。」
「それで・・・まだ殺めたことがない・・・と?」
立っているだけで威圧される雰囲気、泉はこれほどの殺気を受けたのは初めてだった。しかしここで嘘をついたところで、判らないはずが無い。
「・・・はい・・・。」
喉から搾り出すように答える。体中の毛穴から冷たい汗が噴出すように感じて泉は精神でもって懸命に震えだすのを抑えていた。
「人殺ししかいないと思っていた組織にも君のようなヤツがいるのだな・・・優しい男だ。」
上司はふいに微笑み、泉は少し呆気に取られる。
しかしその次の一秒。

がっっ

「ぐっっ!!」
上司に激しく殴られ泉は体ごと吹っ飛んで壁に打ち付けられる。
「うぁ・・・っはっ・・・」
「優しいが使えない男だ。十年以上もこんな男を飼っていたのかここは。」
強く背中を打ったせいで呼吸もままならない泉に上司が吐き捨てる。
エリンが眉をしかめるが、今は心配そうな表情をすることすら出来ない。
「いいか、エリンお前もな!!」
エリンの胸座を掴みその長身で体格の良い彼を締めながら持ち上げる。
「はっ・・・はいっ・・・。」
「潰せ。お前等だけでするんだ。丁度イイ。少し目障りだったのだ。【舞姫】を潰せ。」
「はっ・・・。」
エリンの苦しげな返事を聞くと上司は手を離し、エリンを床へ投げ落とす。
「何、女だけだ。たかが拠点一つの女だけの集まり。優秀な諸君にはワケも無いだろう?」
ついさっきの激しい様子はもう微塵も無く、上司は言った。
「【舞姫】を潰すまでは他の仕事はしなくていい。この件に関しては報酬は出ない。『君たちがしたくてするんだ』そうだろう。」
上司は、それだけ言ってその場をあとにした。



大仕事を片づけたので蝶には三日ほどの休暇を許されていた。
「蝶、いるの?」
「いるわよ。」
障子の外から杏に声をかけられて、蝶は彼女を中に入れる。
「あら、素敵な煙管。」
「でしょう?こないだの的のところのあった品なの。証拠に持ってきたけれども、確認だけしたらいらないらしくて私にくれたのよ。」
蝶が持っていたのは二尺ほどもある優雅な金の煙管で、普段喫煙しない蝶も気に入ったらしく、その優美な肢体を横たえて煙をくゆらせている。
「あら、役得ね。」
「まぁ、例の組織と交える覚悟で得た役得がこれだったらとっても割りに合わなくてよ・・・もっとも今回会ったのは虫も殺せぬような坊やだったけれど・・・。」
「そんな子が殺し屋にいるかしら?・・・はともかく、蝶のかんざしを貸してくれない?私のイイのが壊れてしまったのよ。明日のヒトはとてもイイ方だから私もお洒落しなきゃぁね。」
本当にその客を憎からずと思っているのか杏の顔が華やぐ。
「ふうん。羨ましい事。いいわよ。どれでもお好きなものを、先が尖っていないのを持っておゆきなさいね?誤ってその方を刺してしまうわよ。」
かんざしを普段武器として使用する蝶らしい注意だった。
「蝶、花にうつらふ時間だ。」
不躾に障子を開けたのは蜂だ。
「え、ちょっと何よいきなり。今は休暇でしょ。」
「半値上乗せしてやるからしろ。」
「強引ね・・・いつから?」
「今から、今回は琴と莱、鶴、それに雪と心も同行する。」
蜂が上げた名はいずれも劣らぬ【花虫】の売れっ妓と【舞姫】の優秀な者の両方だ。
「やけに大層な面子じゃない。何事よ。」
「そんなことは聞かなくて良い。すぐ準備しろ。少し時間がかかることになる。荷物と道具はいつもより多めにしろ。でも多すぎると捨てるぞ。」
ぴしゃりと障子を閉めて蜂は去っていく。
杏は面食らって蜂のいた辺りを呆然と見遣った。
「何今の・・・。」
「さぁ・・・??でも琴に莱・・・鶴までは判るけど、雪と心まで??あの妓達じゃ足手まといになるんじゃないかしら。まぁたらしこむだけなら十分かもしれないけど。」
蝶もあまり上のすることについて考えるくせがないので大儀そうに立ち上がると準備を始めた。


いつもはもっと夜を待つというのに薄闇の中、蝶をはじめ指定された女たちは蜂にやけに急かされて馬車に詰め込まれる。
「ちょっとなんでこんなに急ぐのよっ。」
「急ぎなんだ。我慢しろ。」
蜂がまたそっけなく言い放つ。
「全然答えになってないわよ。」
毒気付きながら文句を言うだけ無駄と蝶は判断して黙りこむ。
鞭を当てられた馬が勢い良く走り出し、選んで入っているような狭い道を急ぐ。
やることが無いので蝶は馬車の外に耳を傾けていた。
「火事だ!!花虫で火事だ!!」
外で誰かが叫び、人通りが多くも無い路にも関わらずざわめきが起こる。
―――?!え・・・!
「蜂っ!!」
「気にするな。お前には関係ない。」
「どういうこと?!」
「聞く必要は無い。」
蜂は口こそ開かないが何もかも知ってる風だ。
蝶は理解した。今この馬車に乗っているのは【花虫】として、【舞姫】として、店が失いたくない女達なのだ。
―――大事な物があるのに・・・!!
「蝶!!」
蜂が叫ぶのも聞き入れず、蝶は馬車から飛び降りていた。少し路に転がってしまったがこのくらいならわけない。
「待て蝶!!」
蜂は緊迫した声で呼ぶが引き換えす様子は無い。今引き返すとよほど何かあるのか。
蝶はそれを横目で見て、即座に花虫に向かって駆け出す。
―――燃えちゃう!早く行かなきゃっ
闇が濃くなる家々の向こうに赤く激しい炎の明かりが空の群青色を犯す。
蝶は着物が乱れるのも構わずに息を乱して走る。
ヒトの目も気に出来なかった。



花虫の数少ない休みを狙って、泉達は火を放った。
火が回る前に片づけてしまわなければ自分たちすら捲かれてしまう。
だが、そのくらいの時間で終わらねばもっと注目を浴びることになるのは目に見えていた。
「どうどうとこんなところに店を構えているとはな。大胆な。」
「まさかここが殺し屋とは誰も気づくまい?人を隠すなら人の中ってことだな。」
火の回りはやや早い。この店がほとんど木造だからであろう。
「抵抗すれば殺してもいい。上からの指示だ。なるべく生け捕れ。」
エリンが感情の無い声で言い放つ。
言ってもここは女の店だそれもかなり上物らしい。上層部に興味があるのかもしれないな、と泉は思った。
「俺は店の責任者を探す、泉は、【蝶】という女を探せ。顔、見たことあるんだろう。ここの一番の主力だ。任せたぞ。」
「わかった・・・。」
顔を見たといってもあの月明かりの中一瞬だ。泉だってはっきり顔を覚えてはいない―――というか見てもいない。
それでも覚えているのはあの繊細で美しい体の影と長く煌く髪の毛そして、あの嘲笑するような声だけだった。


失敗の穴埋めをさせられてるとは言え、彼らは優秀で、次々に女を捕らえる。火をつけられパニックに陥った女達はさして抵抗も見せずに手の内へ来てくれる。
同業者とは言え、そこは女だ。指揮命令も無く、訓練された男に生身で立ち向かうことは不毛とすぐ判るようだった。
「泉!!やられた・・・責任者はいない。女が言うところ【蜂】というこの店を取り仕切っていた子供のような者もいない・・・逃げたようだ。」
「・・・っ」
エリンが既に撤収の意志を見せながら言う。
「蝶だけでもと思ったがいないんだろう?」
「ああ・・・。」
「女の話ではこの店でも優秀な者を蜂が引き連れてどこかへ行ったらしい。」
エリンが溜息をつく。
「このままじゃやばいな。責任者に逃げられ、主力もいないとなると・・・」
「どうする・・・。」
チーム全員の顔が少し青くなる。
と、エリンは目の前にいる女の腕を掴み引き寄せる。
「こいつが蝶だ。」
「え・・・?」
突然のその宣言に今まで力なく引き上げられるままになっていた杏は目を見開く。
「私・・・蝶じゃないわ・・・。」
「いや、お前は蝶だ。上から聞いてる蝶の特徴である、【蝶のかんざし】借りたのか知らないが、お前がつけていてくれて助かった。」
無言で他の男たちも頷く。
「待って・・・!私は杏よ!蝶じゃないわ!違うわ!!」
女の中で一番探されていた蝶のことだ、自分が身代わりにされればこの先どうなるか判らない。杏は必死に否定するが、男たちは別に間違えているわけではないのでその声に耳を傾けるはずもない。
「蝶だ。」
「うっ・・・。」
ぎらりとした刃を首に向けられ杏は真っ青な顔で押し黙る。
 
がたんっ

二階で音がする。
「なんだ・・・?焼け落ちたか・・・そろそろだな。撤収する。・・・泉、悪いが一応一通り見回って来てくれ。お前なら出来るだろう。」
「判ったよエリン。」
人を殺せないという致命的な欠陥を抱えている泉だが、それでも彼は優秀だった。
泉はエリンの言うとおり急いで見回りを始める。
―――まぁ誰も残ってはいないと思うが。
残っていた人間は全て捕らえたはずだ。―――そのとき泉は動くものを見止めた。
「・・・!」
即座に反応し泉が体の向きを変える、さっきの二階の物音は今の影かもしれないのだ。
「待て!!」
待てと言うまでも無く、その人影は落ちてきた柱に足止めされその足を止める。
「その声、また会ったわね。」
「・・・お前が【蝶】か。」
「違うって言ってももう判ってるのよね?」
「そうだ。」
ゆっくり振り向く蝶に泉は息を飲む。
とてもこんな店にも闇の世界にもいそうにない美しい少女だ。
炎の中で踊った髪はあの夜の煌きに間違いなかった。
「一緒に来てもらう。」
「嫌よ。抵抗するわ。」
「・・・なら死んでもらうしかないな。」
「あなたに殺せるの?早く脱出しないとやばいわよ。」
「殺せるさ!」
言うが早いか泉は踏み出して蝶の目の前に接近する。蝶はそれに刃の光る扇を構えるが泉のほうが数段速い。足場の不利さも手伝って泉は蝶の首に刃を突きつけていた。
「・・・っ」
蝶が唇を噛む。
「殺せば・・・いいじゃない!!なんでここで止めるのよ!!」
まさに命を手の平に乗せられている方なのに蝶が激しく言う。
「・・・殺せないの?ふんっ甘ちゃんね!!・・・っ」
少しだけ刃が蝶の皮膚を傷つける。赤い筋が鎖骨に伝う。
「・・・何よ・・・!!きゃっ!!」
泉が蝶を自分の後ろに向かって叩き倒す。
「お前の言うとおりだな。俺は人を殺せないよ・・・行け。今行かなければ抵抗するお前はすぐ殺される。逃げろ。」
「情けをかけたつもり・・・?!・・・クソっ」
蝶は小さな声で毒気付きながらも泉の後ろを走り出す。もうほとんど同時に外へ脱出したようだ。
泉は溜息をついて額に手をやる。炎の暑さのせいではない冷たい汗をいっぱいにかいていた。





もうどれくらい走ったのか判らない。足の感覚が無い。華麗な着物も今はただのぼろきれだ。白い肌も煤と泥に汚れ、とにかく必死で逃げた。
この国にいればそれだけで危ない、どんな方法だったのだろう、国境を越えたらしい。覚えていない考えられない今は生きることしか。

「・・・何でこんなところに女の子が??」
怪訝そうに蜜色の髪の男が蝶の顔を覗き込む。今は完全に意識がなく、それにも気づかない。
「こんな格好なんだから多分普通に訳ありっぽいなぁ・・・ううーん・・・。」
男はなにやら思案して、蝶を担ぎ上げた。
「ま、持って帰ればいっか。」
とんでもなく軽い答えを自分自身に出して、男は近くにある自宅へと歩を進めた。