「はぁ・・・」
さっきから聞かない振りをしていたがいやおうなしに入って来る雑音に少年は眉間にしわを寄せた。
「オヤジ・・・今何時だと思ってるんだよっ・・・!」
小声で毒気づいて布団からがばりと起き上がる。女の甘ったるい香水の匂いが鼻を掠める。 一言文句でも言ってやろうと少年は布団を出て隣の部屋の前までつかつかと歩いた・・・はいいが次の瞬間には足が止まる。

「ぁ・・・んっいいわぁん・・・裕、もっとぉっ・・・!」

「・・・っ!」
扉の向こうから洩れてくるまさに真っ最中の女の声は多感な15歳の少年にはいろいろな刺激が強すぎた。
少年は声もかけられず真っ赤になって逃げるように自分の布団にもぐりこんだ。

少年の名前は夏宮 泉。由緒だけは結構正しいお家柄の次男15歳。
砂色の猫毛の髪の毛に新緑色の瞳。無愛想に見えるが繊細で心優しい少年だ。
「おにーたん、どーしたの??ハルちっこよ・・・」
「あ・・・春、トイレ??」
幼い声に袖を引っ張られて泉はなんでもない顔を作る。
声の主は彼の幼い妹、春。3歳になったばかりだ。

出稼ぎに行ってなかなか家に帰ってこない祖父、女遊びの激しい父、その父に愛想を尽かして出て行ってしまった母、そんなわけで春の世話は泉がしていた。


『泉、春の世話を頼むわね。』二月ほど前母はそれだけ言い残して家を出たまま帰ってこなかった。少年にも母は出て行ったのだと判った。
親に棄てられながらも泉は母との約束を懸命に守っていた。何故母がいなくなったのか理解も出来ない春のために。



春をトイレに連れて行って再び寝かしつけたあと、泉は目が冴えてしまって縁側に腰を下ろしていた。
流石に特に聞きたくもない情事を垂れ流されるような部屋の隣でマトモに起きてはいられない、と彼は思ったのだった。
そこは15歳の少年だからまったく興味がないわけではないが泉は特別純情な性質だったのだ。熱くなった頬を夜風がほどよく冷やして彼にわずかばかりの安心感を与える。
「まったく・・・オヤジのヤツ毎晩これじゃ眠れないよ。」
誰に言うわけでもなくぼやく。
満月のせいで真っ暗ではなくふんわりと明るい闇が壁一枚隔てた家の中で熱っぽい逢瀬が行われているなどまったく想像出来ないほどの優しさで泉の体をつつむ。
寝巻きにしていた作務衣の袖が風で少しはたはたと揺れる。

「こう毎晩じゃ参るなぁ・・・春だってまだ小さいからいいけどもうそろそろ物心付くんだ・・・大体教育に悪いよっ」
別に今に始まったことではないが彼の父の女遊びはまさに度を越していた。常に相手が違っていたし、昼間もどうどうと色々な女性と一緒にいるところを目撃するのだ。
流石に母がいたころは家に連れ込むことはなかったが、母が出て行った1年前からは毎晩のようにこの有様だ。
かといって完全に堕落しているかといえばそういうわけでもなく、どちらかというと権力者であり、形式だけに留まらず、様々な才能を発揮して「かつてない人物」と評価されるだけある人間だった。そんな父を泉は仕事の面では立派ではあると思ってはいるが・・・というか立派だと思いこもうと毎日している。
ただ連日女を家に連れ込まれるのは困る。母とも約束したし、祖父だって真面目で優しいヒトだ。今は出稼ぎでいないとはいえ、こんな様子を見たらなんていうか。
泉は考え込むと暗い気持になるのだった。

「なんだ、お前こんな時間に起きてたのか?」

じゃりっと敷石を踏みしめる音とともに穏やかな声がかけられる。
泉には見ずとも誰なのかすぐに判った。
「蒼・・・お前も?」
振り向くとはっとするような美少年が親しげに微笑んでこちらを見ている。
あちらも寝巻きの浴衣姿で。少し崩れた襟からは均整の取れたしなやかな胸がのぞいている。
月明かりに照らされた蜜色のさらさらした髪と泉と同じ色の瞳、それに明らかにつややかそうな色の肌は誰が見ても認めるような色気があって、泉は見慣れたその姿なのに少しどぎまぎしてしまった。
「・・・はははっ僕に欲情でもした?」
「おい・・・」
「そう怒るなよ。冗談だって。」
見透かしたようにまた微笑んで彼は泉の隣に腰掛ける。
「冗談じゃなけりゃ殴ってるよっ」
「はは、そりゃそうだ。僕だって殴ってる。」
美しいが「女のような」というわけでは無く、端整ながらも精悍な蒼の横顔を見ながら泉は少し複雑な表情をした。

夏宮 蒼。彼は泉の双子の兄であり夏宮家の長男である。もちろん15歳。真面目で純情だが無愛想な泉とは大分性格が違い、人当たりがよく饒舌で頭もキレる。ただしあまり物事を深刻に考えたりヒトに興味を持ったりしない淡白な面も持ち合わせている。(といってもその「裏」といえる面は泉と父くらいしか知らないのだが)
泉も無愛想なりに涼しげな印象を与えるなかなかの顔立ちなのだが、蒼の美貌は「なかなか」とか「結構」とかそういうのを超えているのだった。

そして泉が複雑に思うのも無理は無い。自分が一番信頼を置き、尊敬もする兄のその美しい顔立ちや性格はまさに父親と生き写しなのだ。


「なんだい僕の顔ばかり見て。また父さんのこと考えてたの?」
少し面白げに蒼が口にする。
「ん・・・そうだけど・・・。」
泉はバツが悪そうに口ごもる。
泉は蒼のことを本当に信頼していたし、蒼も泉の数少ない相談にはいつも的確にアドバイスをくれているのだが、どうも父のことになるとあまり聞いていないのか結構どうでもいいのか、ともかく泉の納得いくような答えは出してくれないのが常だった。
蒼も泉がその態度を不満に思っているのはとっくに気づいているのだろうが。

「んー・・・お前はちょっと考えすぎなんだよ泉。寝る部屋変えるとかさ・・・父さんの部屋の隣なんかじゃなくても部屋まだいくらでもあるんだし。」
「そうだけど・・・春が、母さんの部屋じゃないと寝てくれないんだ。」
「女の子は難しいねぇ〜」
「〜〜〜;;」
その夜もまた泉は蒼の上の空の回答に釈然としないのだった。まぁ問い詰めたところでかわされるのは目に見えているので泉もそれ以上は言わないのだが。

ともかくほっといても朝は来るもので、結局蒼が部屋に戻ったあとも泉は一睡も出来ずに夜が明けたのだった。