『卒業おめでとう泉』
同じく卒業証書の黒い筒を持った蒼が泉に声をかける。少し息が弾んでいる。
学校一と言って間違いない人気者の蒼は群がる人々の相手をひとしきり終えたあとにはすっかりそこから抜け出して、橋の傍で一人で座っている泉のもとに走ってきたらしい。
『ありがとう。でも蒼もだろう。』
『そりゃあね。僕たち双子だし。』
ふっと微笑んでいつものように隣に座る。
『いいのか?まだお前と話したいやつがいっぱいいるだろう。』
『ん?うーん・・・女の子だったら個人的に話せばいいし、男と話すことはないし。』
男女ともに人気があるくせによく言う。
泉は苦笑しながらも蒼のそんなところが嫌いでは無い。
『なぁ、蒼。』
『何?』
暖かな春風を目を閉じて受けていた蒼がそのまま返事をする。
『これからどうする?』
『これから??』
『うん将来。』
『んー・・・そうだなぁ。僕は聖職者になろーかなー??と思うよ。受験しなきゃな。』
『え、父さんと同じ?』
『うん、ちょっと見返してやろうかなーと思って・・・なんてね。』
蒼はにやりと笑った。
それを見て泉は蒼が父を尊敬してるのだと思った。確かに似すぎた親子ではあることだ。父を自分の将来と見て、同じ職業を志すのも自然なことに見えた。
受験とか言ってはいるが多分蒼なら即入学できるはずだ。蒼はそういう人間なのだ。
『泉は?』
『俺は、まだ考えてないや。』
『ふーん。まぁ急がなくてもいいと思うよ。バイトでもしたら??』
蒼は軽くそう言った。

しかしこの後、母が家出したせいでバイトもなにもなくなったのだが。






「俺の将来かー。」
天井を見ながら呟く。
普段は春の隣で布団を並べて寝ているのだが、今日は寝つきが良かったし父が女の連れ込んでいないようなので泉は自室の布団に横になっていた。
蒼は既に神学校に通っていて神童とか言われているらしい。
あの父親譲りの才能だそれも納得できる。ただまぁあっちの才能のほうも父親と良く似ているみたいだが。いつも違う女子と歩いている所を泉も見かける。確か修行中の神学生は男女交際禁止だったと思うんだが・・・蒼はいつも堂々と女子と一緒にいる。『神童』だから多少の無茶は見ないふりをされているのかもしれない。
泉のほうは遠慮して何も言わないのに、蒼は泉を見ると笑顔で声をかけてくる。
出来た兄で、しかも自分の大事な家族なのにそういうとき泉は心苦しく思うのだ。
「俺は・・・」
泉の本心はただ家族仲良くしていたい。才能のある兄の何か手助けや妹の世話をして家族で生きていけたらイイ。という本当にささやかなものだった。
少年らしい大きな夢はあまり見ないほうだった。
でも手助けといってもこのままではいつか兄の世話になるばかりというどころかお荷物になるのは判っている。それはどうしても避けたい。

これといったなりたいものは無いが泉は昔から身体を動かすことは得意で、スポーツ関係では蒼にも負けたことが無い。成績が悪いわけではないのに蒼と比べるべくも無いその他の教科のことを考えると泉はどうしても体育が好きになってしまったものだ。ただ別にスポーツ選手になりたいという目標もなかったので将来の夢にはつながらない特技でしかない。

―――嫉妬なんてしない・・・ただあいつの荷物になったりしないだけの何かが欲しい。

寝返りを打って枕に顔をうずめながら泉はうとうとし始めた。




「ん・・・」
押し殺したような嬌声が聞えた気がして泉は半分寝ぼけたような状態で目を開ける。
父が女を連れてきたのかと泉は思ったが声の方向が違う。
―――蒼の部屋だ。
泉と蒼は部屋が隣同士だが、あまり蒼が家に女を連れてきたことは無い。どこかで情事に及んでいるんだろうがとにかく実家に蒼の女がいるなんて珍しい。
―――まぁでも春の部屋からは遠いし・・・そうそうあることでもないしイイか。
相当ぼーっとする頭でそれだけ考えて泉はまた眠りにつこうとする。

「それでこんな時間に来たっていうの?」
「入れてくれたじゃない。」

―――声でか・・・
少しいらだったような蒼の声が泉の耳に引っかかる。
言うほど大きな声でも怒鳴る声でもないのだが、怒っていること事態、泉はそんなに見たことが無い。他人の前では常に機嫌よさそうに見せている蒼が口論するなんて何事だろう、と盗み聞きするつもりはなくても自然と会話に耳を澄ましてしまう。

「知ってるんでしょ泉君のこと!私のこと好きってこと!!」
―――え?
ふと聞き覚えのある声だと気づいて泉の目が一気に覚める。
「だから何?」
「知っててやったなら判るでしょ。ばらされたくないなら他の女と全部別れて私と付き合ってよ。ずっと好きだったのよ・・・川辺に座るあなたと泉君のこと見たときから・・・!!私が一番先なのよっ好きになったの先なのにっ!!」
「君が勝手にこんな時間に僕の部屋に押しかけてきた。違うかい?それで僕を脅してるつもり?」
泉は壁際に寄って隣の会話を必死で拾いながら一瞬息が止まるかと思った。
「椿さんの声・・・これって・・・。」
体が硬直したように動かず泉はどうすることも出来ない。これ以上聞きたくはないのにそこから離れることが出来なかった。
「酷いじゃない・・・!知っててするなんて私を犯したのね。何度も私を振ったくせに犯したのね?!」
「さぁ逆だと思うけど?僕は寝てたわけだし。」
よほど鬱陶しいのか冷たく蒼が言い放つ。
「イイお兄さん面は大した仮面だったのねっもういいわ、泉君に・・・」
「泉は関係ないよ―――」
ガタンっっ
堪らず泉はそのまま窓から外に飛び出していた。何ががショックだったのかなんて判らない。椿が蒼を好きで失恋したことか、それとも自分が椿に恋心を抱いていたのを知っていてそれを口実に椿が蒼を脅したことか、それともそれを知っていても椿を抱いた蒼にか。
しかし少なくとも蒼の「関係ない」という一言が何か重く突き刺さる。泉は後ろも振り返らずに走った。窓を出るとき椅子を倒してしまったことも気づかずに。

「え?!」
一方隣で椅子の倒れた音と窓を開けた音に驚いて蒼は急いで自分も窓を開ける。
「あっ・・・泉!!」
瞬く間に闇に消える泉の後姿を僅かに認めて蒼は弟の名を叫ぶ。
―――聞かれた・・・!!
「っちゃぁ・・・・・。」
額に手をあて頭を振る。
多分今の話を聞かれたんだと蒼は確信した。
年の割りにやけに純粋な弟をショック死させるには十分な破壊力だったような会話を。
「あれ・・・泉君っ・・・!」
椿も窓から身を乗り出して青い顔をしている。彼女の良心がかなり痛んでいるのだと思われる。
「―――だから僕は君に何度告白されても断っただろ!!泉が君の事好きだったからね!!判ったら帰れよ!!もう二度と顔見せるなっ。」
「ひっ・・・」
八つ当たりをするかのように椿に激しく怒鳴りつけて蒼は部屋を出る。一応泉を探しに行こうと思ったのだ。
蒼の見たこと無い様な激昂を見せ付けられて椿は震えながら蒼が出て行くのを見ているだけだった。




しばらく辺りを歩き回ってみたが、蒼に泉を見つけることは出来なかった。
「あーもう・・・夜だしな・・・明るくなってからにするか・・・。」
すこぶる機嫌悪そうにぶつぶつ言いながら蒼が家に戻ると庭先に人影がある。
「え・・・あいつまだ帰ってなかったのか・・・?」
椿にしてはやけに背が高い、闇の中よく目を凝らすとどうも人影は二つ。
「・・・父さん・・・?」
そう人影は寄り添って立っていて、よく見なくてもどうみてもキスしてる最中だ。
一瞬呆気に取られたが、次には蒼はどうしょもなくムカムカしてきた。
らしくもなく声を荒げて殴りかかるような勢いで二人の前に立つ。
「椿・・・まだ帰ってなかったんだ。」
「あっ・・・。」
ただならぬ蒼の様子に椿がびくりと身体を震わせて蒼の父、夏宮 裕に取りすがる。
「蒼君、女の子にそんな怖い顔しちゃだめだろ??」
空気を読んでないのかやたら暢気な口調で言いながら裕は椿の頭を撫でている。
「父さんは珍しく女連れ込んでないと思ったら息子と同じ年の子を誘惑ですか。」
「蒼君、君は泣いてる女性を年齢で差別するのかい?」
飄々とした態度が更に蒼の神経を逆撫でる。
「いあちょっと彼女とは話がついてないんで、父さんは帰っててくれませんか。」
「おや彼女に二度と顔見せるなっていったんだからもう用は無いだろう?悪いけど僕には椿ちゃんはすごく魅力的な女性でね。」
「ああ、そうですか。好きにしてください!いいけど金輪際この家に連れて来たらさすがに僕も承知しませんからね。」
「蒼君いつもは泉君の相談を歯牙にもかけなかったくせに、自分のモノが盗られると思ったら駄々をこねるなんて・・・蒼君だって女の子と遊ぶの好きだろ?僕のことだけ非難するなんてお父さん悲しいな。」
「・・・!!!」
蒼の形のよい眉がぎゅっと釣りあがる。
「どの口が言えたことだ!!あんたが僕の落とした子見つけては片っ端から勝手に食ってるんだろ!!何度目とか言わせないよ!!あんたのおかげで僕は影じゃ結構笑いものだよ!母さん一人捕まえてられなかったくせにでかい口叩くなクソオヤジ!!」
蒼は力任せに生垣を蹴り上げてくるりと後ろを向いてもと来た道をすたすた歩き出す。
「え・・・蒼君・・・どこいくの?!!」
椿は普段の蒼からはありえない彼をまざまざと見せられ呆然としながら弱弱しく言う。
「家出っ」
振り返りもしなかったが何故か律儀に答えて蒼は足早にどこかに行ってしまった。


「え、え・・・私のせいかなぁ・・・っ」
「んー・・・僕のせいだと思うよ。」
裕は笑いながら戸惑う椿を撫でた。
「すっごく大人ぶってるけどああやってすぐ怒るところが可愛いだろー??うちの息子っっ!!ああもう最高だね!!」
本気で愛しそうに笑うので椿は呆れるしかない。今までのやりとりがどうも裕にとっての父の愛というやつらしい。
「・・・でも、でも戻ってこなかったら・・・!!」
「ああそれなら大丈夫だよ。僕もいなくなるから。」
「え??」


「僕、明日大陸の西の国に発つことになってるんだ。ゆくゆくは都の神殿勤めに栄転ってこと、まぁ息子達には言い忘れてたけど。・・・あ、たまには帰ってくるから、そしたら会おうね。」
裕はにこにこしながら椿の頬にキスをした。




泉と蒼が家を出て行った2日後、泉は春を思って家に帰ると誰一人その家に住んでいないことを知ることになる。
泉は驚いて隣人(といっても結構離れている)に話を聞くと、父親が仕事の関係で春をどこかに預けて引っ越すと言っていたということを教えてくれた。
りかし隣人にもそれ以上のことは判らず、兄、蒼の行方も知れなくなっていた。
―――父と一緒に行ったのだろうか?でも春は・・・。
兄が神学校を辞めたことも学校に行けばすぐに判ったが、やはり行方は知れなかった。
確かに15の泉は一人で生きていこうと思えばもう十分生きて行ける歳だ。しかし出稼ぎのまま連絡が取れない祖父、どこに行ったかも判らない父と兄、どこかに預けられたという妹、そんな不安を抱えたままただ一人で生きていくほど簡単な性格はしていなかったのだ。

しばらくの間泉は春を探したが全く情報が無く見つからなかったので、住んでいる土地を離れ大陸の方へと妹を探す旅に出ることになるのだった。探しながら生きていくための方法は・・・暗殺集団の一員になることだった。

一方、家の傍というか、父親の傍にいたくなかった蒼のほうも大陸へ行くことにした。泉や春のことが気にならなかったと言えば嘘になるが、泉は春を気にしてきっとすぐ戻ってくるだろうし、それならきっと大丈夫だと自分に言い聞かせたのだった。
蒼は世界四大国のうち一番大きな西の都に行き、神官になることに決めたのだ。
地元の神学校は退学してきたものの、都の神学校に飛び級制度があることを蒼は知っていた。もちろんそれを利用するつもりだ。
それは蒼にしては単純ないわゆるオヤジ越えというヤツだった。まさか父が今行こうとしている西の国に転勤になるとも知らないで。
神職は男女ともに人気が高くモテるという理由もあるのだが。



そして何年も時は流れて。
実は大陸の南の国の実母のもとに預けられていた春は、父と兄を探すために旅に出ようとしていた・・・そしてそれはまた別のお話。



はらはらと舞い落つるは【二人の少年】完