この世界にもっとも繁栄しているとされる中ノ国の王都には非常に有名な父子がいる。

二人の容姿が瓜二つなことも著名さぶりに拍車をかけているのはもちろんだが、無論そんな理由だけではない。

父:夏宮 祐 王都高位聖職者。史上最若年の大司教であり、その眩しい美貌と華やかな気質かつ神の子とまで称される才気を兼ね備える当世一のカリスマ。事実、祐が司祭を務める第三日曜日の朝からの祭儀はあまりにも参列者が多いため大聖堂にも収容しきれずやむなく事前に抽選を行っている。ただし玉にもキズはあるもの、それも無類の女好き。“信仰と神についての勉強会”という名目で実質的なファンクラブを勝手に開催している。表立っては決して問題を起こさないが良くも悪く目立つそれらの行動については教会関係者もはほとほと困り果てているという。

子:夏宮 蒼 前述のように実父である祐に生き写しで同じく聖職者である。父と違うのはとろける様な甘美な蜂蜜色の髪の毛だけだが何故か父を毛嫌いしているらしい。 だが、その才気は父譲り、神学校全過程終了の22歳で着任するのが慣例の中若干16歳にして侍祭となり、その後1年で助祭に叙階され、さらに3年後にはやはり異例の早さで秘蹟を受け司祭に叙階。27歳になった今ももっとも有望視されている。しかし、これもまた女好き。また父への反発なのか出世嫌い。功績ゆえ主席司祭に叙階する話が何度もあったがそれを固辞。わざと叙階されないようにしているがごとく、ろくろく公務も果たさずに遊び歩いているのだが、溜まった公務は一度に完璧に片付けるという教会にとってはこれまた頭の痛い存在である。

王都での二人の人気は特に女性にはすさまじいものがあり、ようよう「聖親子の再来」だとか「光と救いの象徴」だとか仰々しい名前で呼ぶヒトもあるほどだ。


平たく言えば、二人とも特定の女性は作らない主義で星の数ほど女がいると言ってもいいありさまなのだが、蒼は対抗心から祐はからかい息子からかいたさにどうにも同じ女性を何度も取り合ったことがある間柄である。

国内外から幾千もの人々が集うこの王都において、ひときわ目立つこの親子が繰り広げる“モテ”対決は華麗にして滑稽、二人を知らぬものはいないとまでに至らしめる結果となったのだった。



そんな平和な王都で、ある日一つの噂がくすぶるように、だが確実に人々の口の端に上り始めた。

「あの夏宮 蒼と同棲してる女がいる。」

はじめは蒼とお付き合いのある女たちの間から、それから蒼のよく行く店の常連、そして徐々に街へ…とついに祐の耳にも入ったというわけだ。



大聖堂の第7大司教室。
「えー??蒼君が同棲だって?ホントかなぁ。」
公務の書類の山をチラ見しながら、祐は世話係のシスターに問いかけた。
「それが…どうも本当らしいですよヴァロス大司教様」
シスターはどこか残念そうに答える。蒼のファンなのだろうか、少なくとも女癖の悪すぎる祐には祐のファンの世話係はつけないという暗黙のルールのようなものがある。
ちなみにヴァロスというのは洗礼名で、聖職者や修道士・修道女たちは教会内および関係者からは大体洗礼名で呼ばれるのが通例であった。
「ふぅん…信じられないけど、ちょっと見に行ってみようかな久々に。最近会って無いし。
ねぇねぇ私が会いに行ったら蒼君喜ぶかなぁ?とっても楽しみだな〜」
「お怒りになるんじゃないかな…?」
一番年下の小さなシスターがおずおずとそう言ったが、祐の耳には念仏。
「まぁ枢機卿のジジイどもの相手にも飽き飽きしてたんだ。行く途中で人助けでもすれば問題なかろう。シスターエレハイム、マントを取っておいで。」
かくして、王都大聖堂のカリスマ夏宮 祐はその小さなシスターだけを引き連れて、山となった公務もそっちのけで颯爽と街へ繰り出した。



夏宮 蒼は王都の中心部から程近い高級住宅地の家を借りてを住まいとしている。
王都カテドラル所属の司祭であるため専用の寮に加え、寝泊りも可能な執務室も用意されているが父・祐の住まいにも当たり前のように近いためあまり近寄らない。
もっとも、借りた家にもいることはそう多いわけではない。
腐っても司祭、王都内とはいえ、日々各地の教会へ行くのはもちろん信徒の多く巨大な大聖堂の運営も司祭の役割だ…というのは建前で、そんな職務より、恋人たちとの逢瀬という“オシゴト”に忙しくしているが。
そういったわけで夏宮 蒼の朝はあまり早くはない。
朝の祭儀を一人で立てられるぎりぎりの時間に起きるので出掛けは常に慌しい。
「じゃあ行って来るよ。遅刻しそうだ、急がなくては。」
「アンタいっつもそればっか…」
「遅刻はダメだろう?婦女子を待たせるなんて由々しきことだよ…朝ごはんはテーブルの上だよ。」
「はーい。」
いまだベッドの上でごろごろしながら蝶が生返事で返す。
どう見ても一緒に朝を迎えたようなロマンチックな情景だが別にそんなこともなくこの家にはキングサイズのベッドが一つしか無いだけである。
「帰りは多分遅くなるよ。」
「はいはーい。」
蝶がごろんと寝返りを打って、蒼はドアをがちゃりと閉める。
薄い襦袢を羽織っただけの蝶はいつものように二度寝に入り加減にまどろんでいた。


花虫の火事から一ヶ月。
追われているのか、そうでないのか。いまだ安心は出来なかったが、この人通りが多すぎるという王都の特徴によりいわゆる裏の世界の人間は逆に近づきづらいのか、それとも治安がなかなかしっかりしているからなのか、少なくとも蝶が恐る恐る外出したときも特別変わったことは何も無かった。

初めて経験する平和な、というか平坦な生活。
花虫が燃えて逃げ出した【蜂】達や残った女達がどうなったのか知らない。
遠く離れたここでは噂も聞かなければ調べまわる気にもなれなかった。

行き倒れの自分を拾って帰った変な男は会いたい人にとてもよく似ているような気がしたがどうにも雰囲気が違いすぎて別人というか、最近は似てるとも思わなくなった。
そして蝶のことを名前以外本当に何も聞かない蒼という男は、蝶を家に置いて食事を提供し時折必要なものを買ってくれたりもするが、そこには今まで蝶が受けてきた「憧れ」や「恋」「情欲」…もしくは「金」といった視線は欠片も感じられない。

―――「君、僕に飼われない?」

そう言った蒼の言葉が浮かぶ。
つまり、蒼の蝶への接し方はまさにそれだった。
ついでに性愛的な興味は一切持たれてもいないようだ。

「変な男ね…ま、確かに不自由してないようだけど…」
美しい蒼の容姿とその派手な“オシゴト”を考えてまずまず納得しつつ、蝶の意識はまた落ちていった。



“偉大な神よ始まりの主よ すべての光を現したもう 現世の喜び今ここに 満ち満ちたりていざ栄え アリルイエデン アリルイエデン グローリア”

可愛らしく澄んだ賛美歌が真昼間の街中に響く。
賑やかな大通りにあっても、賛美歌が遠く聞こえるのはほとんどの人々が夏宮 祐の美貌に見惚れては息を飲んでいるからだ。
羽飾りのついた長く豪奢なマントを後ろから持ってついてくるのは祐のマント持ち係兼バックミュージック担当という驚くほどふざけた役職を持つシスターエレハイム。本名はリルコットという十九になったばかりの少女だが年のわりには大分幼く見えた。
彼女がそんな役職に抜擢されたのは元々彼女が聖歌隊であったことに由来する。
歌に魔力を乗せることの出来る特殊技能、それも特に歌うことにより周りにキラキラとした星のような輝きを散りばめることが出来るリルコットの歌を祐はいたく気に入って見たその日に世話係の一人に半ば無理やり任命したのだった。「豪華な私には煌く歌は欠かせない、そうだろう?」とかなんとか言って。

もっとも無理やりというのは教会に対してのことであって、リルコット自身は「いつも歌っていられる」という条件が気に入って快諾。本人が喜んでいること、特に祐のファンではないということもあって教会もしぶしぶ認め、今に至る。
「いやあリル子、今日の歌もイイね。」
「グローリア♪…あ、ありがとうございますっヴァロスさま。」
祐に褒められてにっこりと微笑む。
聖歌隊の中においては大勢の中の一人なので単独で褒められる機会はあまりなかったので。
祐は今日はここに来るまでにもう五件の懺悔を聞いて三件の募金をして八件の祝福を与えている。
「こんだけ人助けしてるんだ。ジジイどもも目を瞑ってくれるだろう、まったく大司教なんかになると不自由でいけないね。」
「そうですか?びっくりするほどご自由だと思いますけど。」
リルコットは何も考えて無いのか祐に対してもかなり遠慮無しに発言する。祐はそこも気に入ってるらしい。
「晴れた日の散歩は本当に最高だね。これで可愛いスイートたちがそばにいてくれればなおイイんだけど、今日は最上級の可愛いのに会いに行くからなぁ。仕方ない。」
「エルトローズ神父様も非常にお気の毒ですね〜」
モデルのように一部の隙も無い大げさなポーズで悩む祐のマントを持ち直しながらリルコットは別の賛美歌を歌い始めた。



大聖堂から十五分ほど歩いたところの白く銀色の飾りのある扉の前で祐が立ち止まったのでマント持ちはもう少しでマントを踏みそうになった。
リルコットが蒼の家に来るのは初めてだったので、ただ大司教の後をくっついてきただけなのだ。
「さて…蒼君いるかなぁ。」
「平日のお昼ですから。普通はお仕事中じゃないですか?」
では、失礼して。とリルコットがドアをノックしようと手を差し出すとそれを制して祐は懐から光る小さなものを取り出す。
「鍵あるから、いいよ。」
「え、やっぱり親子なんですねぇ。」
仲が悪い悪いと言ってもそうでもないものか、とリルコットは変なところに感心した。 「うん。留守中にこっそり作ったんだ。鍵穴に粘土入れて。」
美しい笑顔で祐は嬉しそうに答えたがリルコットはもちろん返答に困ってしまった。
そんなことは意に介さず彼は鍵を差し回して扉を開け不法侵入する。が、部屋の中は静まり返っていた。
「蒼君いないのかな??」
勝手にずかずか歩を進める祐の後ろをやや遠慮がちにリルコットがついてくる。
「だからぁ…普通この時間はいらっしゃらないんじゃないですか〜」
当たり前だがリルコットの言葉は祐に届いていない。祐はおおよそ蒼がいるわけないクローゼットなども開けて「蒼君〜?」などと覗き込んでいる。
「ストーカーだ…」
リルコットはぼそりと呟きながらふと右奥のドアに目をやると引き戸になっているそこは少し開いていて、隙間から見えるベッドに人の脚が見える。
「ヴァロスさまヴァロスさま」
「どうしたリル子」
振り向いた祐に無言で隣の部屋を指差す。
「おぉ隣だったか。ありゃ女の子の脚だね。」
「殺人事件…?!」
リルコットは何故かとても的外れな想像をしていたが祐は楽しそうに引き戸に手をかけた。
「蒼君いる??――わぁ美人だなぁ。」
特に驚いたふうでもなく祐はベッドの上に転がっている女を指して感想を漏らす。
「え?あっ…」
女が半裸だったのでリルコットは少し頬を赤らめ後ずさると扉にぶつかり鈍い音を立てた。
「…ふ…何?!」 その音で目覚めた蝶はがばっと起き上がって素早く針のようなものを手に取り構えるが、次の瞬間祐の顔を見て不可解そうな顔をする。
それもそのはず祐と“飼い主”蒼の容姿は驚くほど似ているのだから。
「夢??」
蝶は1,2秒絶句してからなんだか情けない声で言った。
いまだ混乱中の彼女に動じもせず祐がすぐ問いかける。
「蒼君いる?」
「…留守ですけど…」
反射的に素直に答える蝶に祐はまた大げさにかぶりを振って額に手を当て舞台俳優のようなそぶりで嘆いた。
「あ、そう。残念だなぁパパが来るときくらい家にいればいいのに。」
「連絡もしないでそれはちょっと。」
リルコットが至極当然な突込みを入れる。
「うん連絡したら逃げるし。」
それを平然と受け流す祐。
「あ、ごめんね、蒼君と同棲してるってホント?」
呆然とする蝶にさらに詰め寄る祐を隣の部屋に連れて行こうとリルコットは懸命に引っ張り声をあげる。
「ヴァロスさまっさすがにダメですよぉっあの、あなたも早く服を着て下さいよぉ!」
「あら…ごめんなさい?」
リルコットにつられて自分の格好を見下ろした蝶は一応謝っておいた。誰に謝ってるのかは判らないが。



次の日、蒼の家には鍵の全取替え及び五重ロックにするために職人が呼ばれた。